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人はどうして生まれたのか。
そんなことは分からない。
仏法では、「使命があるから」と答えているという。
私は聖書も読んだことは無いし、
仏法の神様、仏様もあまり信じない方だ。
けれどコレは信じる、信じないの事ではない。
キリシタンの人や、お坊さんがこの文章を見たときは
「侮辱している」と思うかもしれない。
けれど、侮辱はしていない。
むしろ一つの神、仏を一途に信じることには尊敬さえも抱く。
話は戻るけれど、
生命が、命があることはとても凄いことだと思う。
凄いなんてものではないと思う。
生きていることによって、仏法での
『使命』があるからだと思う。
キリスト教での『自殺のおろかさ』があるからだと思う。
生きている上での使命とは何だろう。
自殺のおろかさとは何だろう。
自殺のおろかさ、は大体察しが付くと思う。
自殺は全ての上で本当に『愚か』といえるものだと思う。
たとえ、苛められていたとしても
虐待にあっていたとしても、
絶対にしてはいけないと思う。
それは仏法での『使命』でもあると思う。
自分の命を大切にしない奴は、誰も大切には出来ない。
そして幸せにもなれない。
死ぬ、なんて考えないで、生き続けた方が、
世界一、宇宙一の幸せ者、と言えるだろう。
それは誰にでも当てはまって、
自ら死んでいくのは自分を自分で不幸にしているのと変わらない。
死んでいくんだから、不幸だなんて分からない、なんて思うことは
不幸せだと思う。
本当の『生きる』意味は、誰にもたしかに分からない。
それに、だからと言って分かる人は居ないと思う。
けど人間は考えて、それは不幸だ、と思うようになったと言う。
生き物には、命がある。
草にも動物にも地球にも、もちろん人間にも。
それに、人間は動物、植物を食べている。
だから命は、全てによって繋がれていると思う。
草は虫や小動物によって。
虫や小動物は、鳥によって。
鳥は大型の動物によって。
全てはそうやってつながれているから、
その為に、生きる意味を絶ってはいけない、と思う。
さて、使命とは何だろう。
生きていることでの、使命は何だろう。
使命は、生き物全てが持っている事だとすると、
それはやはり同じように幸せだと思う。
全ては幸せなんだ、幸福なんだと思う。
やはり使命がある体は、断ち切ってはいけない。
全てが生きている事は、それが使命でもあるんだと思う。
理屈は、ない。
使命は、誰にでもあると言うことは、
人を助けることだとか人を愛する事だと思う。
けして、不幸にするような使命なんてない、と思う。
けれどけして役立つ人としてではなく、
全ては自分のため、自分が幸せになるため、だと思う。
余り関係ない話かもしれないが、
良い人ほど早死にし、悪者ほど長く生きるという文がある。
これは知恵を使わないと生きていけない
という感じがする。
けれどそれは違うんではないか。
これは、人の死を想定した文であると思う。
『良い人ほど早く死ぬ』という意味は、
自分がコレまでやってきたことを思い返し、
そのため、自分の幸福が倍増する。
だからたとえ死に際でも落ち着いて、安らかという意味で
安心して永眠していける。
『悪者ほど長生きする』という意味は、
自分が死ぬ、ということがとても不安になって、
もがき苦しみ、『死にたくない』という気持ちが強くなり、
狂ったかのように死んでいく。
という意味が込められていると思う。
これは、あくまで私のかんがえである。
もちろん、同じだと思う人も居れば、違うと思う人も居る。
けれどコレだけは分かって欲しい。
『自分は必ず必要な人間、だから生きていて』と。
参考になる本がある。
『だからあなたも生き抜いて』と言う本である。
是非、生きる意味が知りたい人は読んでみるのも良いと思う。